観点のモーメンタムby Gray Cook

 

 

FMSの開発者Gray Cookからのアドバイス 

 

 モーメンタム・勢い・機運・契機(Momentum)とは、私たちのプロフェッショナルな情熱を支える原動力となるものだ。それは、私たちに自信を与え、平凡であることに甘んじてはいけないと思わせてくれる力だ。モーメンタムとは、真実を追求し、その教訓を人のために役立てようとする優れたプロフェッショナルの資質を表すものだ。根拠のない独断や、コンパクトなアプローチをよしとしない教義への盲目的な忠誠を表している。

 

  さまざまな学派が私たちを鼓舞する。私たちのモチベーションを高め、枠組みやシステムを提供してくれる。しかし、それらによって私たちが定義されるべきではない。だからこそ私は、メソッドではなく、基本的な人の動作の原理を中心に書籍ムーブメントを書いた。残念ながら、ある特定の学問分野の徒弟・フォロワーたちは、新しい情報に対して抵抗してしまう。その人たちは、並列する原理を見出すのではなく、その方法論の差異に目が行き、奇妙なもの、見慣れないもの、異なるものとして、抵抗する。包括的なプロは、基本原則に基づいて設計された方法なら、どんなものでも積極的に受け入れる。メソッドやシステムは、基本原則を守るために使う道具にすぎない。もしあなたがこの2番目のグループに属しているのなら、あなたは直感的に、学校教育が探求し、学び、教育するための基本的なスキルを与えてくれたことにすぎないことに気づいているはずだ。

 

 運動と理学療法における私の正式な教育は、人を傷つけない方法と責任を持つ方法を教えてくれた。私の実践的な教育は、現在も進行中だが、いかに人々を助けるか、いかに賢くなるかを教えてくれる。私の実践教育は、私の効率と効果を向上させる。実践的経験は、私のプロとしての自信と勢いを生み出す。

 

 私のプロとしての勢いと経験、そしてそれが生み出す自信は、フロアでの時間、つまりクリニックやジム、トレーニングの現場での時間から生まれる。レシピはシンプルで、時代を超越している: スキルを身につけ、それを使って何かをする。そしてフィードバックを受け、結果を評価する。その結果に基づいて、さらにフィードバックを得るために別のことをする。あなたは自分の素材を知り、必要なスキルをすでに持っているはずだ。あなたが評価することが求められているのは、特定のケースだ。実践的な教育とは、フィードバックにたくさん触れることであり、自分が知っていることを多くのケースや状況、問題に適用することで得られるフィードバックなのだ。普段から、私はこれを実践的な知識を得る方法と関連づけて考えている。車の運転に関して、我々は基本的な安全運転を学ぶが、その学習を完了させるためには、実際に運転する時間を確保しなければならない。

 

 私は、FMSとSFMAの開発者として、多くのワークショップで教えてきた。私が常にしているアドバイスは、「実践的な教育を受けること」だ。我々は、セミナー参加者が、そのセミナー後の臨床・現場で実践的な教育を受けられるように、セミナー参加者に教育とスキルセットを提供している。

 

マーク・トウェインの言葉がある

 

"学校教育に、教育の邪魔されたことがない"

(“I’ve never let my schooling interfere with my education.”)

 

 

今日の運動とリハビリの専門家は、かつてないほどよく勉強している。私のこれに対する今批判は、実践的な応用と教育の欠如だ。FMSとSFMAはコンピューター技術や派手な器具に頼らない実用的なツールだ。技術的な基準からすればセクシーなツールではないが、とても実用的なものだ。非常に効率的で効果的だ。それぞれが運動機能不全に対処する際の観点と実践的な自信を生み出してくれる。実践的なプロとしての経験に基づいた観点で、モーメンタム・勢いを生み出す。

 

 私の個人的な大局観のモーメンタムがどのように生まれたかを紹介しよう。振り返ってみると、それは私が計画したわけではない3つのステップのプロセスであり、今になってみるとその価値を認識することができる。

 

 

 ステップ1:若い理学療法士だった私は、理学療法の熟練した専門家の指導のもとで働くという素晴らしい機会に恵まれた。彼の名はポール・ヒューズ(Paul Hughes)。彼は、マイアミ大学(*全米屈指の理学療法教育課程のある大学)での学業は単に教育のためのチケットであって、実践的な教育ではないことを教えてくれた。彼は、反復と実践を通して私に教えてくれた。間違っても、私の手を握ってくれたのは、親切な育ての親だと思わないでほしい。ポールは厳しい教師、コーチであり、これはまさに私が必要としていたものだった。彼は間違いなく親切な人だったが、私が体系的な構造と実践的なスキルを必要としていることを知っていた。知識と真理の追求とは、朝早くから夜遅くまで、そして多くのフィードバック(ほとんどが建設的な批判)を受けることだと教えてくれた。もし私がこれを望まなかったとしても、この道はすぐに出口を示すように設計されていた。

 

 私は9時間、10時間労働の日が数多くあった。8時間の患者ケアと、週に数回、1、2時間の症例検討と批評だ。私は自分の失態やミスを隠したり、ごまかしたりすることはできなかった。自分のミスを自覚し、それを認めなければならなかった。事実、ミスを分析し、議論すれば、授業料不要の教育機会になることを学んだ。私は、自分が担当した患者すべてのことに責任を持った。プロトコルやパッケージ化されたプログラムに決して頼らず、素早く自ら考えることを強いられ、知識を個々の状況に明確かつ効率的に応用することを期待された。実践的な問題解決を学び、体系的なアプローチを開発し、使用することを期待された。患者やアスリート、クライアントに対して目標を達成できなかった場合、どのように、どこで、なぜミスをしたのかを発見することが求められた。そのような間違いを直接指摘されることはほとんどなく、結果が思わしくないときは、自分で間違いを見つけることが求められた。また、今後のミスを減らす、抑える方法を発見することも期待されていた。

 

 

「失敗をしたことがない人は、新しいことに挑戦したことはない」

アルバート・アインシュタイン

(“A person who never made a mistake never tried anything new”)

 

 

 こうして、当時は知らず知らずのうちに、FMSと動作アセスメントの種が蒔かれたのだが、発芽には時間が必要だったのだ。

 

 ステップ2:師匠であるポールのもとで3年近く働いた後、私はあるPTクリニックのディレクターに就任した。補足だが、私と同年代のセラピストのほとんどは、幸運にも私が大学院で受けた実践的な教育を見たり経験したことがなかった。中には、自分はその資格があると思い込んで理学療法士の学校を出てきた人もいた。しかし、正直に言えば、卒業時の私と同じように、彼らは最低限の資格しか持っていなかった。医療免許は最低限の能力であって、専門性ではない。皮肉なことに、新卒者は私の恩師と同じ職業上の資格を持っていた。新卒者とポール・ヒューズは、どちらも理学療法士の免許を持っていると考えられていたにもかかわらず、ポールは全く異なる包括的なレベルで、現場で実践していたのだ

 

 私は、新たに設立されたPTクリニックの新ディレクターとして、最も困難な症例を担当し、模範を示すことが私の責任であると考えた。それからは、どんどん評価をするようになった。私の担当する枠の大半は、評価や再評価のために確保されていた。治療にも携わってはいたが、それは限定的なものだった。患者を評価するときは、試しに治療を行い、正しい方向に進んでいることを示す指標を観察・評価し、他のスタッフにそのケースを引き継がせ、自分は別の担当ケースに戻るということを繰り返していた。その治療プランが成功すれば、スタッフからのフィードバックで、すべての目標が達成されたことがわかる。そうでない場合は、その患者を再度評価した。一言で言えば、短時間で多くの症例に触れることで、私の学習が加速されたということだ。多くの動作パターンを観察し、その結果を直接または間接的に追うことができたのだ。私の学習ループは圧縮されたのだった。

 

ステップ3:ディレクターとして3年の後、故郷のバージニアで別の仕事に就いた。ディレクター職にスライドし、再びリーダー職に就いた。ここで私は同じ環境を作り出した。6、7年の実務経験しかない私は、私と同じ時間臨床にいた人たちの2倍の患者をを診てきたことになる。この新しい経験によって、専門家としての自由度が増し、単に配置されたスタッフを継承するのではなく、Lee BurtonやKyle Kieselなどの有能なスタッフを雇うことができたのだが、これは大きな変化だった。私は自分のチームを選ぶことができたのだ。そして、この時にスタッフの大半と今も働いている。

 

 小さな町だが、素晴らしいチームに恵まれたことで、私は地域社会に貢献する機会を得ることができた。しかし、私は地に足をつけて行動する必要があり、それを促すようなフィードバックも受けた。小さな町のPTクリニックであるがために、自分の悪い結果を避けることはできなかったのだ。リハビリがうまくいっても、同じ問題を抱えたリピーターがクリニックに再来院したり、街中で再発した人に出会ったりすることがあった。私のリハの成功率は、私の主観に基づくものなのか、それとも客観的なエビデンスに基づくフィードバックなのか、疑問に思うようになった。

  

 これが、FMS(Functional Movement Screen)とSFMA(Selective Functional Movement Assessment)が生まれた仕組みと環境である。同僚と私は、無理にでも客観的になるよう努力したのだ。私たちが開発したスクリーンやアセスメントは、やがて傷害リスクの予測や身体部位の相互依存性を明らかにする機能評価モデルという重要なトピックに対して、私たち自身に警鐘を鳴らすことになる。私たちの専門的なモーメンタムは、未来を味わうことを可能にしていたのだ。私たちには資金もなければ、大規模な補助金もなかった。当時、私たちは研究者でもなかった。ただ、豊富な経験と優れた観点を持っていただけである。つまり、FMSとSFMAは、研究室ではなく、クリニックとジムのフロアで生まれたのである。これらのツールやメソッドは現場で生まれたものだから、その有用性と実用性を理解するためには、現場で使用することを強く勧める。それらは、より圧縮された論理システムの実践的な応用なのである。

 

 エクササイズ・運動やリハビリの専門家は、私に、クライアントや患者、同僚たちが多くの個人として、そしてプロとしての目標と並行して、動作や機能についてより明確な見通しを持てるようにするにはどうしたらよいか、とよく質問する。機能的な視点をどのように患者に売るのか、と聞いてくる。患者やクライアントに、何か違うことをやってみようと説得するのは難しく、時には苛立ちさえ覚えるが、従来の道を歩んでもらうことも同じくらい難しいことだ。問題は、この質問をするのが、臨床・現場経験の少ない運動やリハビリの専門家であることだ。

 

 私は、まず専門家のモーメンタムを提案することで対応している。私の自信と熱意は、学校教育ではなく、経験と教育から生まれたものだ。学校教育によって、私は運動とリハビリテーションにおける安全で倫理的な実践の道を歩むことができた。一方で、私の教育は、現場でできるだけ多くのフィードバックを得ることだった。

 

ステップ1:包括的なスキルを身につける。私は、自分のスキルがより包括的になるように、自分を追い込んできた。

 

ステップ2:できるだけ多くのスキルを実践する。経験量の高い役職・立場に身を置く。また、患者が治療計画に反応しなかった場合、状況を再確認し、短期的にフィードバックを受けるシステムを用意した。

 

ステップ3:即時、短期、長期のフィードバックに晒される状況をつくる。

 

 私は、同僚と一緒にスクリーンとアセスメントの開発に励むことで、知らず知らずのうちに、体系的かつ客観的なフィードバックを得られる状況に身を置いていた。私たちはシステムを開発しただけでなく、それを毎日使っていたのだ。

 

 FMSとSFMAを初めて行う専門家へのアドバイスは、現場・臨床での時間を記録することだ。さらに具体的には、FMSやSFMAのような新しいメソッドや実践を行うための最良の方法は、意欲的で信頼できる対象者に対してのみ実践することだ。私は、スクリーニングやアセスメントの新しい利用者が、最も困難なクライアントや患者を最初のフィードバックプロジェクトにすると聞く時、しばしば笑ってしまう。それは決して良い結果にはならないだろう。多くの問題のある患者・クライアントは、新しいスクリーニング実施やが機能を修正するよりも、機能不全に陥った経験が豊富なものだ。あなたの最新のスキルを、最も問題のあるクライアントや患者に持ち込まないようにしよう。あなたの自信と熱意は、(患者の)懐疑と機能不全に負けるだろう。その患者・クライアントが完全に参加しなければ、あなたの提案が根付くチャンスは限られている。そして、クライアント・患者が懐疑的であれば、効果的で体系的な評価、プログラム、再評価を実施するモーメンタムはない。

 

 FMSとSFMAセミナーの終わりには、臨床上の実践をアップグレードする準備ができている熱心な人たちがいる。しかし、そのうちの半数が、実践的な教育と技術的な自信を身につけるために必要な臨床上の時間を確保できるとすれば、幸運と言えるだろう。

 

常に、本を読み、ワークショップを受けた後に何をするかが重要であり、そこがすべての違いを生むものだ。

 

学校を修了し、そして教育を楽しもう。なぜなら、それは終わることはない。

 

だから、私は「勢い・モーメンタム」という言葉を使ったのだ。